今の日本でカザフスタンという国名を聞く機会は少ないですが、かつて、5万人以上の日本人がカザフスタン国内に滞在した時期がありました。そう、第二次世界大戦の捕虜として抑留された人々です。
抑留先の各所で都市の建設に従事し、引き揚げを待たずに亡くなった日本人捕虜の墓地が現在、アルマトイ中央墓地の一角にあります。
こちらがカザフ大使館発行の観光案内より引用した、日本人墓地の概要。
日本人抑留死亡者の埋葬地は,市北西部のライムベク通り沿いにある中央墓地内にある。整然と墓石が並んだ墓地に,145 名の日本人が埋葬されている。年に一度,カザフスタン 日本人会が掃除を行っている。また,アルマティ空港近くに ある 37 名の日本人抑留者が埋葬されていた第一墓地は,既に遺骨が収集され,跡地だけが残っている。第二次大戦後,カザフスタン全土では推計 5 万 8900 人の日本人が抑留され,1,393人が亡くなった。アルマティ市にも第 40戦争捕虜収容所が置かれ,収容所は現在のホテル「インターコンチネンタル・アルマティ」,新テレビ・センター地区やアルマティ第 1 駅にあったとされる。ここに抑留されていた日本人は主にアルマティ市建設に従事した。それらは旧国会議事堂,科学アカデミー,第7発電所などで,この他にアブライ・ハン通りやジェルトクサン通りにある古い集合住宅も日本人抑留者によって作られたといわれている。第7発電所は現在もアルマ ティ市に電力を供給している。カザフスタンの人々の日本人観は「勤勉」,「清潔」であり,このよ うな日本人観の形成には,抑留されていた日本人が与えた印象が大きく反映されている,との説がある。
在東京カザフスタン大使館発行『アルマティ案内』より引用
ガイドのジャナラやデニスくんが、科学アカデミーや古いアパートメントの前で「日本人が建てた住宅は維持状態がいいので今でも家賃が下がらない」と教えてくれたことを思い出します。日本人の私に対する褒め言葉ではあるのですが、過酷な強制労働の産物だと思うと複雑な思いです。実は私の祖父もシベリアに抑留・引き揚げを経験しており、収容リストがちょっとでも違っていれば、アルマトイで祖父のつくった建物に向かい合う運命だってありえたかも……。
また、ご存命のカザフスタン抑留者としては、収容所から解放された後、今も現地のご家族とともにカザフスタンに暮らす阿彦哲郎さんという方もいらっしゃいます。阿彦さんは『アクタス村の阿彦(あひこ)』 という題名で舞台化もされました。
旧ソ連領内の日本人抑留者・残留者については未調査な部分が多いものの、実際にはかなり多くの「日系」の人々が存在するのではないかといわれています。
大戦時からご存命の方はもう少ないと思われますが、 彼らの子孫が私たちと同じ世代に生きていて、どこかでお世話になるかもしれないと思うと、もう金輪際、戦争はしないでほしいと切に願うばかりです。
なお、日本人墓地への行き方については、どなたか親切な方のtogetterから引用させていただきます。ありがとうございます。
以上、観光名所ではありませんが、日本人として、機会があればお花をお供えしたいスポットをご紹介しました。
カザフスタンの日本人抑留者については、少々古い記事ですが、『地球の歩き方』特派員ブログの以下の記事も参考になるので、リンクを貼らせていただきます。
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