ドンブラをエレキ改造するバンドALDASPANの新アルバム到着

こんにちは、KISEです。今日は、私がアルマトイでであったあるメタルバンドについてご紹介したいと思います。バンド名は「ALDASPAN(アルダスパン)」。出会いは偶然、共和国広場で音楽イベントのリハーサル風景に遭遇したのです。普通のバンドかと思いきや、よく見ると持っている楽器がちょっと変わってます。

あれってもしや民族楽器博物館にあったドンブラでは?
(参考:草原の音色に耳を傾けながら一休み カザフ民族楽器博物館

しかもさらによく見ればシールドが伸びてる。

つまり、エレキドンブラ? 

これが私とALDASPANの出会いでした。夕方にツアーを入れてしまっており本番ステージを拝むことはできなかったものの、ジャキジャキのいかつい音色は印象深く、名前だけでも覚えておこうと撮影したのがトップ写真です。

帰国し、さっそくALDASPANについて調べ、なんとアルバム3枚が公式サイトから無料ダウンロードできることをつきとめました。

ダウンロード方法については、追って紹介しますが、まずはALDASPANの来歴を見てみましょうか。公式サイトからの翻訳です。(長いです)

最初期
1980年代末、ヌルジャン・トイシーが同級生の影響でヘビメタに目覚める。ジェームズ・ハットフィールド、ケリー・キング、マックス・カヴァレラらの高速リフを聴くうち、彼は気づいてしまう。ギターの速弾きはカザフの伝統器楽独奏曲「キュイ」のドンブラの音に酷似していることに。リスナーに強力なエネルギーを授け感情を爆発させるあの音色だ。
ドンブラ教室に通いはじめ、彼はすぐにヘビメタのギターリフとキュイの奏法の類似点をも理解した。そして音楽学校の授業に外部生として参加するようになる。しかしヌルジャンがクラスメイトにエレキドンブラの案を話しても誰も興味を持ってはくれなかった。露系音楽学校ではカザフ民族音楽はダサいもの扱いで、生徒は西洋やロシアの文化に傾倒していた。まだソビエト連邦カザフスタン共和国だった時代、ロシア語で教育を受ける若者達にカザフ音楽は遠い存在だったし、カザフ語を話さない者にはカザフ文化は退屈だったのだ。
もとより、当時はパーツや製作技術を見つけるのも難しかった。街にはエレキギター工房もないしお金もない。エレキドンブラのアイディアはその後20年、ヌルジャンの胸に秘められたままだった。
それから21年後の2009年、ソ連は解体され鉄のカーテンも崩壊していた。CIS諸国でも市場経済が発展しつつあった。そう、世界がエレキドンブラという壮大なアイディアに気づく時代が来たのだ。ヌルジャンは出張で訪れたモスクワでギター工房を見つけると、必要なパーツを買い集めた。そして出張から戻り、カザフ国立音楽院のチーフ調律師であるムラト・クベコフを訪った。自身の設計に沿ったエレキドンブラを試作してくれないかと提案したのだ。ムラトはその案に驚いたものの注文を受けた(音楽院の工房では、ムラトの指揮でアコースティック・ドンブラを製作していた)。こうして、エレキドンブラ第一号が誕生したのである。
ムラトは計3本のエレキドンブラを製作したが、2009年11月から2010年6月までは試行錯誤が続いた。特に独自性という点で、エレキドンブラにはエレキギターの第四弦を2本張り、それぞれ異なる音階に調律する必要があるのだが、それではエレキギターと同じ音になってしまうのではないかという懸念があった。しかし幸い、ネックやボディの形状、弦、チューニングが異なるおかげで、アコースティック・ドンブラに非常に近い、ドンブラ独自の音色が保たれた。つまり、実験は成功したのである。
ヌルジャンは、一番近いギター工房のあるモスクワに出張する機会を見計らってソロ用、リズム用、ベース用の3本のエレキドンブラを発注した。工房の職人はこの奇妙なオーダーに多いに関心を示し、二人は細かい点を4時間にわたって議論したという。発注は2010年10月。完成品がアルマトイに届いたのは2011年2月のことである。
ところで、エレキドンブラの演奏ジャンルとしてヌルジャンはためらいなくヘビメタを選んだ。子供の頃からの夢を実現し、この楽器の未知の可能性を示すためだ。バンドでギターを演奏しても世界を驚嘆させることはできない。とりわけロックでは。レベルの高いバンドも個性豊かなギタリストも世界に星の数ほどいる。しかしこれがドンブリストなら? 目新しさはもちろんだが、とにかく絶対数が少ない。ドンブリストはCIS諸国やその近隣地域にしかいない。それにエレキギターは20世紀からあるが、エレキドンブラは21世紀に世界に初めて出現した楽器だ。さらにカザフには多くの(アコースティック)ドンブラ奏者がいるのに世界はその個性をまだ知らない。エレキドンブラというプロジェクトを差別化できるポイントだった。
バンドのテーマも彼の中で明確だった。キーワードは、戦争、胆力、勇気、闘志、真の男らしさ。それらはテュルク系民族音楽のバックボーンでもある。チンギス・ハーンの騎馬軍団の構成員はカザフ民族だし、それ以前にも戦いに生きた戦士達がいた。戦って遊牧生活の蓄えを増やすのが彼らの使命だったからだ。そんな思いで、バンド名はALDASPANに決めた。カザフ語で装甲兵や騎馬軍団に立ち向かう重いサーベル刀を意味する言葉である。
さて、バンドメンバー集めとして、ドンブラ奏者は思わしいグループをあたればよかったが、問題はドラマーだった。西洋諸国に比べ、カザフではロック、特にヘビメタは人気が低くドラマーは少ない。結局、ヌルジャン自らトラムセットに座って叩きながら歌うスタイルでスタートすることになった。
マクサト・ハサノフ加入
2010年夏、ヌルジャンはバンドの計画をイズバッサール・ブザイェフに打ち明けた。彼はヌルジャンが仕事で借りていたオフィスビルのオーナーだ。彼にメンバー集めを依頼しようとしたのだ。ブザイェフはエレキドンブラの歪んだ音色に驚嘆し、ビルの一室をリハーサルスタジオとして提供しただけでなく、プロジェクトを多くのカザフ人アーティスト、作曲家、作詞家、ミュージシャンに紹介する。
やってきた最初の候補はムラゲルだった。彼はロサンゼルスの器楽パフォーマンス大会で優勝経験もある有名ミュージシャンだ。そして左利きだった。ムラゲルは初めてエレキドンブラに触れ、その後20分間弾き続けた。ナイロン弦のアコースティックドンブラに比べ指のダメージは大きかったが、止められなかったという。彼自身は乗り気だった。しかし彼の父がそれを認めなかった。外務省に用意されたポストに就くよう言われたのだ。その内定はわずか1ヶ月前。気の毒なタイミングだ。結局ムラゲルは仕事を選んだが、代わりにドンブラの名手を連れてくると約束した。そうしてムラゲルが連れてきたのがマクサト・ハサノフである。マクサトはエレキドンブラの音色に衝撃を受け加入に同意。彼は国立大学院の楽団員としてドイツやUAEを訪問しており、ドンブラやカザフ民族音楽に対する国外オーディエンスの熱い反応を知っていた。そしてその経験から、このプロジェクトが国外の人々にもウケると確信していた。
バハトジャン・ジェルデルバイェフ加入
モスクワからエレキドンブラが納品されると、マクサトは音楽院の友人であるバハトジャン・ジェルデルバイェフをリズム担当のドンブリストとして勧誘する。彼もまたエレキドンブラの音色に取り憑かれ、迷わず正式メンバーになった。
シャムシャッディン・オマロフ加入
残るはベース担当だ。マクサトは楽団で目をつけていたジャネルを誘った。ジャネルもスタジオでエレキドンブラにショックを受け加入を決めたが、リハーサルの過程でマクサトと意見が合わず、友情を壊さないためにもプロジェクトから離脱した。その後、バハトジャンが母校の音楽カレッジからダウレンを連れてきたが、ダウレンもまた、加入翌日にロックは好きになれないという理由で辞退した。
そもそもベースの入れ方について、ヌルジャンは当初から普通のドンブラ奏者を誘い、ベース・ドンブラを習得してもらおうと考えていたが、マクサトの意見は、すでにアコースティック・ベース・ドンブラの演奏経験がある奏者を入れるというものだった。しかしそんなプレイヤーは少ない。上手い奏者ならなおさらだ。数日悩んだ末、まずは普通のドンブラ奏者を誘うことで決着がついた。誘ったのはマクサトの友人であるシャムシャッディン・オマロフ。シャムシャッディンはキャンパスでマクサトと同屋だったのでバンドの存在自体は知っていた。ロックも好きだということで、とんとん拍子で加入となり、バンドはファーストアルバムに向けた楽曲制作を始めることになる。 ドゥラトが移住のため離脱し、アイサルベク・アキヤシェフがドンブラ奏者として加入。
バハ脱退 2015年、バハがアスタナ移住のため脱退。
ドゥラト・ジャクウルク加入 オーディションを経て、ドゥラトがバハの後釜に加入。
ルスラン・アルピソフ加入 ヌルジャンがボーカルに専念することを決め、元Zarrazaのドラマー ルスラン・アルピソフを誘う。2015年、ルスラン正式加入。これにより5人編成のALDASPANとなる。
ルスラン脱退 2015年、一身上の決意からルスランが離脱。再びヌルジャンはドラムボーカルに。
ドゥラト脱退、アイサルベク加入 ドゥラトが移住のため離脱し、アイサルベク・アキヤシェフがドンブラ奏者として加入。

公式サイトより翻訳して引用

ヌルジャン、熱すぎる……!まるで歴史上の偉人の物語のようですが現在進行形で活動中のバンドの話です。

それではさっそく、公式YouTubeチャンネルに上がっているクリップが上がっている2曲を紹介します。

ALDASPAN

バンド名を冠したALDASPANのテーマ曲(?)。リード、リズム、ベースという3本のドンブラの役割がよくわかり、それぞれ弦が2本しかないのにこんなに豊かな音色がすることに素直に驚きます。歌に入る直前の低い振動音はホーメイという喉を震わせる発声法で、テュルク系遊牧民独特の「喉歌」。人間の声です。

Edige

なるほどこれがやりたかったんだね!という、ヌルジャンの夢がかなったようで他人事ながら嬉しい一曲笑)。カザフスタンといえば遊牧騎馬軍団ですが、そのいかついイメージとヘビメタはぴったり合いますね。ふと、テムジン(チンギス・ハーンの幼名)やティムールも「鉄」という意味だということを思い出しました。そのものずばりヘビーなメタル。好相性さもありなん。間奏でビヨヨンビヨヨンと鳴っているのはシャンコブズという口にくわえる小型ハープで、これも草原の楽器です。

ニューアルバムが届きました

そして2018年12月、待望の7枚目のアルバム『Balqadisha』が発表されました。表題曲の『Balqadisha』は、オリジナルではなく伝統的なカザフスタンの楽曲をロックバラードにアレンジしたもの。曰く「リスキーな試みだった」と。いやいやそれがまたしっとり聴かせてくれます。

日本で言えば和楽器バンドのように、ロックやポップスといったジャンルに伝統楽器を使うには反発もあるでしょうが、楽器の新たな可能性や生き残りにもつながるだろうし、私は大好きです。だいたい、CDを買わずして日本でダウンロードできるだけでもありがたい。よかった、ようやく無料ダウンロードの話に戻ることができました。

無料ダウンロード

公式サイトからの無料DLは『Seniora Nervozo』『Zhol』『Uly Kosh』の3枚が対象です。DLには公式サイトでアカウント登録が必要。登録画面はロシア語ですがGoogle翻訳で対応可能なレベル。名前やメールアドレス等、基本的な情報を入力すると認証メールが送信されるので記載のURLをクリックする(スパムメールに分類される可能性もあるので、来ない場合はゴミ箱フォルダ等もチェックを)。その後ログインすればMP3ファイルをダウンロードできるようになります。なお、家庭内利用に限るとのことで、公衆・営利目的の使用については要問い合わせ(または購入)。

Twitterよりインスタのほうがアクティブなので気になる方はこちらもぜひチェックを。

以上、アルマトイ生まれのパンクロックバンドALDASPANの紹介でした。次は絶対生で見たいという思いを胸に、今後もバンドの動向をチェックしていきたいと思います。




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  1. ピンバック: カザフの天才ポップ歌手ディマシュ・クダイベルゲンを知ってほしい! – Let it be ALMATY

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